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第110飛行隊 (イスラエル空軍) : ミニ英和和英辞書
第110飛行隊 (イスラエル空軍)[だい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [ひ]
 (n) (abbr) rook (shogi)
飛行 : [ひこう]
  1. (n,vs) aviation 
飛行隊 : [ひこうたい]
 【名詞】 1. flying corps 2. air force
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps
イスラエル : [いすらえる]
 【名詞】 1. Israel 2. (n) Israel
: [そら]
 【名詞】 1. sky 2. the heavens 
空軍 : [くうぐん]
 【名詞】Air Force
: [ぐん]
  1. (n,n-suf) army 2. force 3. troops 

第110飛行隊 (イスラエル空軍) : ウィキペディア日本語版
第110飛行隊 (イスラエル空軍)[だい]

イスラエル空軍 第110飛行隊(110 Squadron、) は、イスラエル航空宇宙軍飛行隊である。別名として、ナイツ・オブ・ザ・ノース(Knights of The North Squadron)とも呼ばれる。
== 歴史 ==
第110飛行隊は、1953年に、約20機のデ・ハビランド モスキート FB.6および少数のデ・ハビランド モスキート T.3を装備する戦闘機部隊として、ハツォール空軍基地に編成された。1955年には、イギリス海軍から放出された14機のデ・ハビランド モスキート TR.33が配備された(第110飛行隊は、イスラエルでモスキートTR.33を運用した唯一の飛行隊である)。
1956年の第二次中東戦争の時点では、モスキートは旧式化しつつあったが、第110飛行隊はモスキートでエジプト軍と戦う地上部隊への近接航空支援を行った。
1957年から1958年にかけて、モスキートは退役し、代わってフランス製の双発ジェット戦闘機であるボートゥールIIAと、その複座爆撃機型であるボートゥールIIBを装備する飛行隊となり、ラマト・ダヴィド空軍基地を拠点とするようになった。1963年からは、第119飛行隊から複座夜間戦闘機型のボートゥールIINを移管され、運用を行った。また、これに先立つ1962年には、第117飛行隊から10機程度のグロスター ミーティア T.7を移管され、練習機あるいは標的曳航機として運用された。更に、1964年には、第107飛行隊から、戦闘機型のグロスター ミーティア F.8および写真偵察機型のグロスター ミーティア FR.9が移管された。
1967年の第三次中東戦争ではボートゥールIIAおよびIINが実戦投入され、初日に1機がシリア上空で撃墜されたが、翌日にはボートゥールがイラク軍ハンター戦闘機を撃墜した。
1970年から1971年にかけて、ボートゥールおよびミーティアが退役し、代わってA-4Hスカイホーク攻撃機を装備する飛行隊となった。1973年の第四次中東戦争では、イスラエル空軍機に対する防空網により損害を受けたが、アメリカ合衆国から供与されたA-4Eを補充され、1977年頃にはA-4Nに更新された。
1980年になると、第110飛行隊のA-4Nスカイホークは第102飛行隊第115飛行隊に移管され、これに替わって新型のF-16A/B Netz戦闘機が配備され、F-4戦闘機で7機撃墜の記録を持つエースパイロットアミル・ナフミが飛行隊長となった。
1981年6月7日には、第110飛行隊の4機のF-16と飛行隊長ナフミを含む4人のパイロットが、第117飛行隊の4機のF-16、第133飛行隊の6機のF-15と共に、イラクの原子炉への攻撃作戦(バビロン作戦)に参加した。
バビロン作戦から数週間後の7月14日、レバノン上空で作戦を行っていたイスラエル空軍のA-4の迎撃を試みたシリア空軍のMiG-21と、A-4の護衛を行っていた第110飛行隊所属機との間で空中戦が発生した。この戦闘で第110飛行隊長のナフミがMiG-21を1機撃墜し、これがF-16の空中戦での世界初の撃墜記録となった。
1982年の、イスラエルでの作戦名"ガリラヤの平和作戦"では、第110飛行隊は合計23機のシリア空軍機を撃墜した。飛行隊長のナフミはこの内6機を撃墜しており、合計14機を撃墜したイスラエル空軍トップエースの一人となった。
1987年頃には、装備機がF-16C Barakに更新されており、1991年には少数の複座型F-16D Brakeetも追加装備されている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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